地域一番プロデューサー今泉 潤一

略歴

茨城県行方市出身。
大学を卒業後、人材会社にて派遣・紹介業務に従事。困難に挫けず粘り強く仕事をしていった結果、最年少で課長職となり年間最優秀賞を受賞。人材会社という様々な業界、業種のクライアント様とお付き合いさせて頂く環境に身を置いた事で、自分の視点だけでなく、スタッフさんの視点やクライアントの視点など、複数の視点から物事を捉える事の重要性を学びました。

その後、美容医療業界に特化したコンサルティング会社に転職。全国の美容外科、美容皮膚科、AGA系クリニックをクライアントに、人事採用のプレイングマネージャーとして、受付スタッフやナース、ドクター、また本部スタッフの新卒・中途採用の計画立案、媒体選定、原稿作成、スカウト等のダイレクトリクルーティングから面接調整、面接対応、フォロー面談、入社後の契約書類作成・送付まで全てを担当。全国で年間500名超の採用活動を行ないながら、入社後の評価や教育実務も担当。グループ子会社の部長職も拝命しました

そんな中コロナ禍となり、全国で自分が採用した方々の退職が続く。退職を防ぐ手段も権限も持てない中、自身の業務や今後について見つめ直していた所、経営戦略研究所の存在を知る。
岩渕や先輩コンサルタントの話を聞き、理念や環境、業務内容に強く共感し、入社を決意する。

今泉 潤一をより知って頂くために

幼少期

茨城県行方市、霞ヶ浦から徒歩10秒にある片田舎の家で生まれ育った私の幼少期を一言で言うと、「元気で危なっかしい目立ちたがり屋」この一言に尽きます。
毎日友達の家へ遊びに行っては外で遊んで泥だらけ・傷だらけになって帰ってきたり、友達の家でゲームして遊んではうるさくて友達の親から怒られる始末。帰ってくるのが遅くて親を心配させる事はしょっちゅう。
そんな私は、目立ちたいだけが理由で小学校六年生の時に児童会長に立候補しました。結果、何と選ばれてしまいます。
私自信は目立ちたい事もあり、やる気満々で色々発言したり盛り上げようとするものの、周りは全く意見を出さず冷めた雰囲気、児童会の一体感はゼロでした。
そこで話し合いの場を設けメンバーの意見を聞いてみると、私に対する信頼感の無さ、またやる気の押し付けへの反感などからメンバーは素直に協力できなかった、という事が分かりました。
メンバーの本音を知り自分の無力感を思い知った私は、皆の意見を取り入れ、副会長の子や他のメンバーに自分やりたかった目立つ発表や児童会の運営の一部を任せ自分は一歩引く事で、一年間の任期を全うする事ができました。
この時、子供心に人は1人では何もできない事と、仲間を信じて任せる事の重要性を学びました。

幼少期の私には1つ悩みがありました。それは、「家庭内の制限が多い事。」
父親は消防士で不規則な出勤シフトの為、母親が子育ての中心になっていました。
母親の意向から、ご飯は毎日皆で同じ部屋で食べ、テレビは一家に一台、ゲーム機も買ってもらえず、月のお小遣いも必要最低限。。小学生の頃、欲しいものを自由に買って食べ遊んでいる友達を見て、それが出来ない自分をみじめに感じていた事を覚えています。
今思えば母親の愛情を感じる事も多々あり、家族の絆を大事にする温かい家庭なのですが、当時の私は、友達を家に呼ぶ事はできない、遅くまで遊べない、外食や遊ぶお金もない、、と不満ばかり。
人の意図は思った以上に相手に伝わらないものですよね。。
年齢を重ね視野が拡がった今では両親の意図や気持ちが汲める様になり、自分の育て方に本当に感謝しています。

そんな環境の中、高校生になると制限への反動からか友達を連れてスクーターで何時間もかけて茨城から千葉、東京まで遊びに行ったりしていました。
そして高校三年生では、制限からの脱却、念願の一人暮らしをする為に、掃除洗濯料理何1つまともにした事もありませんでしたが、神奈川県にある大学進学を決意。
大学生となり一人暮らしを始めてみると、その楽しさからあっという間に家事全てをマスターし、毎日夜中まで飲んだり、遊んだり、国内旅行や海外へバックパッカーに行ったりなど、自由な一人暮らしを満喫しました。
今思い返せば何か制限や壁があっても、それを乗り越えようと頑張る事で成長してこれた実感があり、自分の負けず嫌いな性格やハングリー精神は、こういった制限や壁を乗り越えた経験から養われたのかもしれません。

大変だった人材業界

そんな大学生活もあっという間に過ぎ、就職の時期になりました。
大学3年生で自分のやりたい事、やりたい仕事について悩んでいた私は、まさにこんな自分と同じ様に就職や仕事探しで悩んでいる、困っている人をサポートしたい、という思いから人材業界を志望、人材会社に営業職として入社しました。

ビジネスのビの字も知らない私でしたが、この人材会社、また人材ビジネスという業界には非常に鍛えられました。
なぜなら、人材ビジネスでは理不尽の連続だったからです。
人材派遣の営業として、就業先となるクライアントの最寄り駅で派遣スタッフさんと待ち合わせをするも、初日に派遣スタッフさんが来ずクライアントへ謝罪。
別の日は、初日は無事来てくれたものの、二日目から来なくなりクレームの電話がきて謝罪。別の日は初日も二日目も来たものの、一週間経ったら来なくなりクレームで謝罪。
別の日は一ヶ月後に来なくなり、クレームからの謝罪。他にも遅刻が多くてクレーム、ケンカを起こしてクレーム、派遣スタッフさんが就業先で物を盗み事件になりクレームなど、自分はやるべき事をやっているのに、派遣スタッフさんの不就業やミス、問題により、自分が責められ、日々謝罪をしていました。これは本当にしんどかったです。。

派遣スタッフさんに初日の仕事終わりに電話で様子を聞き、問題ありませんとの話だったので安心していた所、翌日来ていないとクライアントからクレームの連絡がきた事も。
「何でだよ!、、なんなんだよ。。」
人員増を期待していたクライアントの所へ謝罪に行けば、「パソコン代や制服代、名刺代全部請求するぞ!今日中に急いで代わり連れて来い!」と烈火の如く怒られます。
上司に相談するも、「この仕事では良くある、また次頑張ろう」との言葉だけ。。
「自分は毎日何十件も飛込み営業やテレアポして派遣スタッフさんの仕事を探してきて、求人票作って、ここまで準備・段取りしているのにこの仕打ち。こんなに頑張っているのに、誰も見てくれない、認めてくれない、成果も上がらない、自分だけ、自分ばっかり…!」
こうなると、不平不満愚痴文句大会の始まりです。
「もう理不尽な事で怒られたくないし、こんな仕事したくない。やりがいないしつまらないし成長もない。明日会社に行きたくない、、もう辞めたい。。」
完全なマイナス発想。当時はそんな事ばかり考えていました。

最初は余りに身勝手で無責任な派遣スタッフさんに怒りが爆発していたものの、いつしか怒りは人間不信になり、さらには諦め、達観、無の境地へ達しました。
仕事に目標や熱もなく、ルーティンワークの様にメール・電話して、時に怒られる日々。人生に希望もなく、ただただ土日の休日に寝る事だけを楽しみに生きていた当時の私だったのですが、一冊の本に出会った事で少しずつ変わっていきます。

大きな気付き

見城徹社長、藤田晋社長共著の『憂鬱でなければ、仕事じゃない』
この本を読み終えた後、改めてこれまでの事を思い返してみました。
「よく考えたら、仕事で悩んでいるのは自分だけじゃないかもしれない。。有名で偉い社長だって憂鬱になって悩んでいるし、よくよく考えてみれば、派遣就業するスタッフさんこそ、不安定な立場だし、知らない環境に入っていく訳で、一番憂鬱なんじゃないか、悩んでいるんじゃないか、、?」
今までは「自分はこんなに頑張っているのに」、「自分ばっかり理不尽だ」と自分の事しか考えられていなかったのですが、この本を読んだ事がきっかけで、他の人の事にも目を向けられる様になりました。
そうして視野が拡がった事で、自分の視野でしか捉えていなかったものが他の視点でも考えられるようになり、そこからの気付きを営業トークや派遣スタッフさんのフォローに活かす事で、成果を伸ばす事が出来ました。
自分の視点と他人の視点という点と点が線で繋がり、別の見方や新たな気付きを得られるという面ができる実感を得られた瞬間でした。
それからはがむしゃらに仕事をこなしていくスタンスから、派遣スタッフさんの視点では自分はどう振る舞うべきか、クライアント視点では何を求められているか、上司の視点では、、と働く際の考え方、仕事観が変わり、その甲斐あってか、最年少で課長職となり、社内の年間最優秀賞を受賞する事ができました。

営業職から人事職へ

人材営業として経験を積んでいく中で、入社後直ぐにスタッフさんが退職してしまう様な採用のミスマッチを減らしたい、入社後のケアやフォローに重点を置き、会社も求職者もWin-Winな採用活動をしていける人事職になりたいと考え転職活動を開始。美容医療業界に特化したコンサルティング会社に人事職として入社しました。 なぜ美容医療業界の会社にしたかと言うと、美容整形やAGAのニーズ、伸びしろは未だかなりあると仮説立てをした為です。その当時、芸能人がテレビで整形をカミングアウトしだしていた時期で、美容系クリニックも多くなく、自由診療の為売上も上げやすいはずだと考え入社を決めました。
その仮説は見事当たり、入社当初はナースや受付、ドクターで年間数十名規模の採用だったものが、数年後には年間500名超の採用規模となり、業績も右肩上がり。
何事も情報を集め比較・仮説立てをし、考えをまとめてから決める事が重要であると実感しました。

コミュニケーションの難しさ

人事職になってからはクライアント先の採用を行いながら社内のマネジメントも行なう、まさに歯科医院の院長の様なプレイングマネージャーの働き方をしていました。
また人事職という事で採用業務のみだけでなく、入社後の書類作成や教育研修、評価システムの設定・運用など人事業務全般について担当する事となり、多忙を極めました。

そんな私と女性社員3名の4名で順調に求められる成果をあげていたのですが、他部署の社員の退職により部下1名が異動となり、新しく他部署から女性社員が1名人事部に異動してきてくれたのですが、その女性社員とコミュニケーションが上手く取れない事態に陥ってしまい、そこから部内の雰囲気が悪くなってしまう事に。。 具体的には、私の指示に従わず自分のやり方を主張してきたり、他の女性社員に人事部は効率が悪いから早く帰れないと話をしていたり、やると言っていた事をやってくれていなかったり、、今思えばコミュニケーション不足が問題だったのですが、この時は非常に悩みました。
組織の調和やバランスは、ほんのちょっとした事で崩れるのだと身を持って感じた瞬間でした。
この社員との関係性を改善しなければならない。でも日々のタスクは沢山あるし一応仕事は回っているし、自分が下手に出たり媚びるのも違う気がするし、、忙しさや立場を言い訳に関係性の改善を後回しにしてしまっていました。
緊急度と重要度の高い第一領域ばかりに集中してしまっており、緊急度は低いが重要度は高い第二領域の関係性改善をないがしろしてしまっている。。
今ならその事に気が付けますが、当時の私には気が付く事はできませんでした。
人間関係、マネジメントについて悩んでいた際に、「コーチング」の存在を知りました。
直感で「コレは、、、!」と思った私は、日本のコーチング業界の老舗で拠点数日本一の銀座コーチングスクールに通いコーチングの資格を取得しようと決心。
平日は朝から夜まで仕事、休日はコーチングの勉強、復習・予習という生活を始めました。

コロナ禍による大変化

この時、これまでの成果が認められたのか、グループ子会社の部長職を拝命
忙しいながらもコーチングを学ぶ中でラポール形成や相手を信じる姿勢を学び、それが仕事に活きてきて微かに希望の光が見えてきた中、今度はコロナ禍という外部要因によって大混乱を極めました。
具体的には、最終面接設定まで進んでいた新卒採用の全求人中止対応、内定者へ採用枠縮小による内定取消しの通告と補償対応、全面接・研修のWEB化、運用マニュアルの作成から現場面接官への指導、WEB接続のフォローなど、コロナ禍により業務が膨れ上がり、かつそれらは緊急度・重要度が高いものばかりでした。

また何よりも、コロナ禍を期に感染リスクや業務過多を理由にクライアントの離職率が上がってしまいました。
毎月採用をしても現場が多忙な為満足な教育・フォローが出来ず、結果直ぐ辞めてしまうという負のループに多くのクライアントが陥っていました。

ナース職は全国で売り手市場。採用するのは歯科衛生士職を採用するのと同じ位大変です。
そんな貴重なナースさんが入社してきても、日々の忙しさの中で放っておかれてしまい、日々の教育、ケアやフォローもなく、結果数ヶ月で辞めてしまう、、そんな穴の空いたバケツに水を注ぎ続ける様な採用の仕事に虚しさを感じている自分がいました。
どんなに経験があったり、即戦力な人でも、新たな職場でいきなり活躍できる人はいません。
職場の方々の日々の気遣いやフォローは必須です。

クライアントの採用課題の解決について、今の立場での限界が見えた瞬間でした。

経営戦略研究所との出会い

改めて自分のこれからを見つめ直した時に、コロナ禍という外部環境によって組織が崩れてしまう事を実感した事で、採用や人事という一管理部門に留まるのではなく、クライアントの生産性を上げる仕組み作りやマーケティング、経営企画など、より経営全般的な課題解決や、組織構築・活性化の仕組み作りをしていきたいと考える様になり、コンサルタント職に興味を持ち、経営戦略研究所の存在を知りました。

面接で話を聞くと、「売上目標なし」、「業績ではなく、クライアントにとことん向き合う」、「社内では売上の話ではなく、クライアントの成長について徹底的に話し合う」など、自分が理想として思い描いていた環境がそこにありました。
ここであれば自分の医療業界をサポートしていた経験やコーチングの知識、採用業務のスキルを活かしクライアントのサポートが出来る、そう確信し入社致しました。

最後に

ここまでご覧頂き、ありがとうございます。
私はこれまで沢山の失敗や悩み、挫折を経験してきました。
ですが、その度にそれらを学びとし、前向きに仕事に取り組んできた自負があります。
新たな学びを得る事も好きで、銀座コーチングスクールも無事卒業し認定コーチとなる事もできました。
内部要因、外部要因、様々な事象がある中で、たった一人で経営をしていく事は大変な事とお察します。
その中で、私は経営者の意向や気持ちを汲みながらマーケティング、マネジメントの一助をさせて頂くことができます。
是非一緒に、理想の医院づくりを目指していきましょう!