歯科医院地域一番実践会 地域一番化 マスター
岩渕 龍正

学習院大学経済学部経営学科卒業。
大学ではマーケティングを専攻し、大学で学んだマーケティングを活かせる企業として、大手経営コンサルティング会社に入社。
入社後は、サービス業のチームで修行後、自ら、歯科医院経営活性化プロジェクトチームを立ち上げ、人脈なし、ノウハウなし、経験なし、の状態から、続々と地域一番医院を創り上げる。 2005年、経営戦略研究所株式会社、代表取締役社長に就任。歯科医院に対する経営コンサルティング業務を行うと共に、歯科医院地域一番実践会を主宰。
地域一番を目指す、志の高い、厳選された100医院が全国から参加。
歯科医院の現場に密着した経営コンサルティングを信条とし、机上の空論に終わらない、結果が出るコンサルティングを目指し、現在も、クライアント共に日夜、格闘している。年齢不詳、横須賀市生まれ。動物占いはライオン。

岩渕をより知っていただくために

皆さんには信じられないかもしれませんが、岩渕は小学校時代、非常に口数の少ない少年でした。更に、成績はABCの三段階評価でオールBという平凡な成績でした。小学校2年生から高校卒業まで剣道(二段)を続けていたので、運動はある程度できましたが、それもクラスでヒーローになるわけでもなく、とても地味な存在でした。

今では想像できませんが、幼稚園時代は肥満体型で、「このまま太った人になるのでは」と母親は心配したそうです。そんな幼稚園時代になりたかったものは「パン屋さん」でした。それは「自分で作ったパンをたくさん食べられるから」という単純な理由でした。

私の父親は大手の造船会社Iでサラリーマンをしていました。とても厳しい父親で、私は本当は野球やサッカーをやりたかったのですが、「一度やり始めたもの(剣道)を途中で止めるのはダメだ」と断固として許してくれませんでした。

父はサラリーマンとして勤めながら、中小企業診断士の資格を取るための勉強をいつもしていました。ですので、私の記憶の中に、父親と楽しく遊んでいるという記憶がほとんどありません。父親は、中小企業診断士の資格を取り、経営コンサルタントとして独立しました。

そんな、厳しくて、いつも忙しそうにしている父親を見て、「俺はこういう父親にはなりたくない」といつも思ってましたし、父親にはよく反発しました(別にグレていたわけではありませんが)。
たぶん寂しかったんだと思います。もっと父親と遊びたかったんだと思います。もっと父親に優しくしてほしかったんだと思います。
しかし、今では父親が自分に厳しくしてくれたこと、頑張ることの大切さを教えてくれたことにはとても感謝していますし、尊敬しています。

会社の名前で仕事ができる時代は終わる。
これからは自分の名前で仕事ができる人間でないと、生き残れない。

そんなに反発していた自分も結局は父親と同じ大学に進学し、気付くと父親と全く同じ職業をするようになっている自分がいました。

「これからは、厳しい社会になり、会社の名前で仕事ができる時代は終わる。これからは自分の名前で仕事ができる人間でないと、生き残れない。だから、そういう力が身に付く会社に就職したほうがいいんじゃないか」
就職活動をする際に、父親からこんなことを言われたのが経営コンサルタントという仕事についたきっかけでした。

歯科業界で日本一の経営コンサルタントになってやろう。

「何で、歯科なの?」

という質問をよくいただきます。
答えは「たまたま」なのです。別に、「戦略的」に考えて、「これからは歯科医院のコンサルティングがいけるんじゃないか?」と考えたわけではありません。

私が下積み時代に所属していた旅館チームのチームリーダーが「何か新しいコンサルティング分野はないか」ということで、始めた5つぐらいの中に、歯科医院が入っていたのです。その時、その5つの業界に対して、セミナーをやったのですが、集まったのが歯科だけで、そのセミナーに向けての準備が全然されてなかったのを見て、「そんなんじゃダメなんじゃないですか」と生意気なことを言ったところ、「じゃあ、お前やってみろ」ということで始めたのがきっかけなのです。

始めてみて、色々と調べてみると、「歯科医院は全国に65,000軒もあり、患者さんも減ってきているし、コンサルティングニーズが出てきているし、これからコンサルティングに対するニーズが増えてくるのではないか」ということで「歯科業界で日本一の経営コンサルタントになってやろう」と思ったのが、歯科医院の経営コンサルティングを始めたきっかけだったのです。

クライアントに教えていただきながら、
一つ一つ積み重ねてきたのが岩渕流コンサルティング

「そんなことも知らないの?全然話にならないわね」

千葉県柏市のある医院で、こんなことを言われたのは歯科業界のコンサルティングを始めたばかりの頃でした。「やっぱり俺には歯科医院のコンサルティングなんて無理なのかな?」そんな惨めな気持ちで柏市の夜の街並みをタクシーの中から眺めていたのをよく覚えています。

歯科医院に対する経営コンサルティングを始めた当初は、こんな調子で真っ暗闇の中を手探りで進む状態でした。F総研の中に医療業界のコンサルティングをしている人間もおらず、誰にも聞くことができない、F総研のチラシや販促などのコンサルティングノウハウも使えない、という状況の中で、クライアントに教えていただきながら、一つ一つ積み重ねてきたのが岩渕流コンサルティングなのです。

その中でも、歯科医院をリニューアルする際に、医院のコンセプトを地域一番医院になるためのものに変更し、それに合わせて医院の仕組みと内装・外装を変えていくコンサルティング手法は他の追随を許さないものだと自負しております。

「岩渕さんのおかげで今年はたくさん税金払わないといけないんですよ」「今年、一番良かったのは岩渕さんに出会えたことでした」「岩渕さんには本当に感謝してるんです、ありがとうございます」このように言っていただける機会が増えてきました。

・コンサルティング開始180日で、医業収入が3500万アップした医院
・コンサルティング開始180日で、九州の島なのに、自費収入が月200万円ある医院
・コンサルティング開始1年で、矯正歯科で年間検査数が年間100人から150人に
・コンサルティング開始180日で、リニューアルして医業収入が3000万アップした医院

このような医院は、単に業績が一時的に伸びるのではなく、スタッフとの信頼関係を取り戻したり、医院経営の安定化を図っているので、収入が伸びるだけでなく、仕事への充実感、スタッフの仕事への満足度、院長の幸福感が圧倒的に以前より増しています。

素晴らしい医院作りを、
素晴らしい院長と一緒に創って行きたいと考えております。

このように続々と地域一番医院を創り上げた結果、私の「岩渕流コンサルティング」は2004年、F総研の社長賞をもらうまでになっていました。それまで、ガムシャラに走り続けた結果、他に真似される立場になっていました。

また、自分の周りに目をやると、昔は絶対的な存在だった父親も67歳を迎え、以前のような勢いもなくなり、自分が父と会社を支えないといけない状況でした。「このままF総研に残るか、それとも、親の会社に行くか」悩みました。実は、「F総研を辞めて、経営コンサルタントをしても成功しない」というジンクスがあり、自分としてはF総研を辞めて、コンサルタントをすることにリスクを感じていました。

しかし、「このまま全力で勝負できる期間はそんなに長くない。だったら、人の土俵ではなく、自分の土俵で勝負してみたい」そんな気持ちが強くなり、長年お世話になったF総研を退職し、父が創業した経営戦略研究所(株)の代表取締役社長に就任することにしました。

現在、「歯科は厳しい、厳しい」と言われていますが、しっかりとやるべきことをやれば、伸びることはできる、素晴らしい医院を創ることはできると私は信じています。確かに、その道のりは大変で、パワーの要ることですが、それを乗り越えた時に得られるものは大きいということを私は、クライアントの姿から知ることができました。

そんな素晴らしい医院作りを、素晴らしい院長と一緒に創って行きたいと考えております。このような私の考えに共感してくださる方とだけ、私は仕事をしていきたいと考えています。