お問合せ・ご相談 045-440-0312 平日9:00-18:00

地域一番アドバイザー辻 悠太

略歴

函館生まれ、東京都練馬区育ち。早稲田大学卒業後、国内最大手の製薬会社にMR(営業)として入社。人口10万人が住む雪深いエリアの医療機関を担当し、生活習慣病の薬剤を中心に医療用医薬品を販売する。担当エリアにおいて10製品以上の新製品の立ち上げと製品の普及活動に関わる。
新製品発売一年時の売上実績において、担当の施設を個人開業医の規模に関わらず、全国ランキングトップ10入りさせ、自身の実績も支店NO.1になった経験もある。

「医師であり、経営者である先生にもっと貢献出来ないか」という歯がゆさと、「もっと会社に依存しなくても生きていく力を身につけたい」という思いが強くなる中で、国内大手生命保険会社からからヘッドハンティングをされ転職を決意。新設まもない支社の創業期に関わる。
自身が地元出身でないため、縁故に頼ることができず、仕事を通じて出会った方々からつながりを開拓し、「納得性の高い」生命保険を提案・販売。また医療機関においては、財務の観点から医療を支えるという観点で活動を実施した。

しかし、自己啓発をしていく中で経営戦略研究所のことを知り、「コンサルティングを通じて医療を変える」という経営戦略研究所の考えに共感。ここでならずっと思っていた「先生が治療に専念できる環境」を提供できると転職を決意。
医療経営を間近に見てきた経験に加え、生来の粘り強さと強い覚悟で地域一番医院の創出に挑む

家族構成 妻と娘(現在、単身赴任中)
5月12日生まれ 牡牛座 B型
動物占いは「品格のあるチーター」―涙もろくて情に厚い情熱家

辻 悠太をより知って頂くために

幼少期

生まれた時が4200gと大きかったためか、幼稚園の時は周りの子供よりも一回り大きな男の子。幼稚園のイベントごとの挨拶など何かしらの代表に指名され、親が喜んでくれるので嬉しい反面、いつも「なんで自分だけが。。。」と小さいながらに不満を抱えていました。
しかし、身体は一回り大きかったですが、平凡でおとなしく、何かあればすぐ泣く子供で、おじいちゃんから「男なんだから泣くな」と叱られてはまた大泣きするというそんな少年でした。

幼少期の私の一番の事件は生まれてまもない弟の死でした。

まもなく救急車が家の前に到着し、サイレンの音で起きてきた近所の方々に見守られながら、パジャマ姿のまま家族と一緒に救急車に乗り込んだこと。断片的な記憶しかありませんが、今私自身が父親になって、その時の親の「我が子を失った時の悲しみとやりきれなさ」を考えると想像を絶するとても居たたまれない気持ちになります。

私が大学で医療福祉の勉強をして、医薬品と生命保険という「生命」に関連のある商売に携わり、今も医療の現場で経営コンサルタントとしていることは偶然ではなく、小さい弟の死を通して「生きているのが当たり前ではない」という経験をしたことが、「健康な人生を届けたい」という現在の私の思いに繋がっています。

学生時代

決して裕福な家庭ではありませんでしたが、親が教育にはお金を投資してくれたこともあり、小中高と学校の成績は良好でした。中高は常に学年トップ10に入り、勉強の楽しさと何も取り柄のない自分に自信をつけさせてくれたことに感謝しています(当時は有りがたみを感じることができませんでしたが)。
勉強していくなかで、何回か一気に成績が伸びる経験をしました。それは、「競争」と「教育」のタイミングがあるかどうかです。
学校では毎年クラス替えがありましたが、その時に近くにライバルがいるか、質問しに来てくれる同級生がいるかで、その時の成長度合いが違うということを発見しました。
今でもそういう環境に自分がいるかどうかは意識しています。
また、通っていた高校は系列に医学部があることもあり、父親が開業医の同級生もいました。裕福な家庭で羨ましい反面、進学を決める時期には将来を半ば強制的に決められて、苦しむ同級生の姿も目の当たりにすることになりました。
私自身も医学部進学を一時期考えましたが、国立大学の医学部に入るほどの学力はなく、私立の医学部に入るほどのお金はなかったので、福祉の面から医療に貢献しようと漠然とではありますが決めて、大学へと進学しました。

ペーパーモチベーションからプラチナモチベーションへ!?

早稲田大学で医療福祉の勉強をしたのち、国内最大手の製薬会社にMRとして入社し、半年間の研修期間を経て、雪国の人口約10万人が住む市町村にある医療機関を担当することになりました。

大学時代まで実家暮らしだったこともあり、親元を離れてはじめての新生活は楽しみでしたし、当時の製薬業界は華やかさがあり、接待で美味しいものもたくさん食べることもできました。
しかし、私はとても残念な社会人でした。自分のやりこと仕事だけを熱心にやり、やりたくない仕事はやらない。休みの日は漫画を読み、長期休暇は旅行に行くなどプライベートを楽しむために仕事を頑張り、仕事でミスをすれば、人のせいにしてみたり、「自分には向いていないんじゃないか」と勝手に思ったりして、落ちていくそんな私でした

頼りなかったのでしょう。周りの人たちも「こいつすぐ辞めるな」と思っていたそうです(笑)

そんな時でした。MRの新人の9割は1年以内に営業車で事故をすると言われていますが、私もご多分には漏れず。しかも車で小川に落ちるというなかなかない事故をしました。スリップして後ろから落ちたので、何とかなりましたが、前方から落ちていればどうなっていたかと思うとぞっとします。

恥ずかしいやら悔しいやらで「辞めようかな」と思いました。しかし、その事故は私が仕事に向き合う転機になりました。会社の先輩に、医薬品卸の担当者、そして担当先のDrにいろいろな人が心配して、そして車のない私をサポートしてくれました。
特に日頃、無愛想な医薬品卸の担当者が昔の失敗談を話してくれて励ましてくれたり、あまり会話が盛り上がらない担当先の先生が優しい言葉をかけてくれたりした時には嬉しくて涙がでそうになりました。

「自分1人で仕事をしているわけではないんだ。自分のやりたい仕事だけをするのではなくて、周りが喜んでもらえるように仕事をしよう!」

次第に応援してくれる担当先の先生も応えてくれる先生や協力者もでてきて、仕事がまわりはじめました。

ほとんどの担当者が目標達成ができなかった糖尿病の新商品でも発売1年の計画を達成。自然と他でも「もっと結果を出したい」と思うようになりました。

 

そんな中で会社から期待の新薬が発売されることに。しかも、発売日には支店長と同行にすることが決定。

仕事にも慣れプレッシャーのかかる場面でしたが、「意地でも結果を残したい!」という強い思いでいっぱいでした。

「最初の3日の頑張りが3ヶ月後の成果に繋がり、3ヶ月の頑張りが3年後の成果につながる」ならば、最初の3日で無理してでも100%を達成しようと高い目標をたてました。

 

土日も関係なく、戦略を考え、資料作りをして、「無理だよ」という医薬品卸の担当者を巻き込み、「まだ必要ないよ」という先生に医薬品を使ってもらえるか思案し、飲み会に、講演会に、先生同士のつながりに、時に理論理屈抜きの依頼に、できることを一覧にし、片っ端から実行

発売日が決まってからの数ヶ月は無我夢中。気づけば、担当していた1施設は10万軒以上ある一般診療内科の中で、全国売上ランキングトップ10に入っていました。厳しい計画を3日は無理でしたが、発売1ヶ月で達成し、最終的に新製品発売1年時の売上実績において、自身の実績も支店NO1になることができました。

会社から与えられた計画ではなく、自分自身で高い目標を設定し、達成することの喜び、それがモチベーションを強化し、仕事の楽しさに繋がることを知りました

誰かのために仕事をするということ

しかし、MRという仕事にも慣れてきた入社 4年目。業界のコンプライアンスが厳しくなり、MRとして活動できることが規制で狭くなったことに加え、会社にも不祥事があり、希望を持つことができませんでした。

 

そこでMR以外の仕事を探しはじめました。大企業で働いたということと当時、結果が出ていたという気持ちもあり、それなりに選考に進めるだろうと考えていました。
一番、最初に転職会社に紹介されて受けた会社は医療機関のコンサルティング会社。面接官は取締役の方でした。
面接時間は2 時間の予定でしたが、最初の 5 分で私の不合格は決まりました

 

面接官は言いました。

「あなたは自分のことしか考えていないし、思考も停止している」
「MRが淘汰されていったら、あなたの居場所もなくなるよ。でも今のあなたではそこにしがみつくのが限界だろうね」

面接官からの厳しい言葉。とてもショックでした。もしかして世の中に自分を必要としてくれる会社はないかもと。そして転職活動もその一社でやめました。 ただ、最後に面接官が

「とにかくもっと勉強しなさい」
と一言。

そこから
「製薬業界から逃げるのではなく、どのような環境でも生き残っていく力を身につけよう」
と思うようになりました。その取締役の方が、コンサルティング会社マッキンゼー出身の方であることが分かり、そこからコンサルティング関連の本も読むようになりました。
経営コンサルタントの大前研一先生の著書の

日本のサラリーマンは「鍋の底に火がついてだんだんお湯が温まってくる。カエルはなんとなく変化に気づきながらも、深く考えずに『まあ、温かくて気持ちがいいや』と思っている。そのうちお湯は熱湯になり、カエルは茹で上がってしまうのだ」

という文を見て、焦りました。

「これは俺のことだ!茹で上がる前に外に出なくては!」

それまであまり自己投資をしていなかったのですが、数十万円をかけて大学院の講座を受けたり、好きな本だけでなく、経営学の本なども読んだりするようになりました。大学院の講座で知り合った仲間から刺激を受けたり、読んだ本のことを実践したりしていく中で、再び仕事に楽しさを見つけられるようになりました。

「どうやって医薬品を売るか?」という発想はやがて、「どうしたら先生に安心して薬剤を処方してもらえるか?そのためには何が必要か?」という発想に変わりました。

仕事への取り組み方が変わり、数字だけでなくプロセスも評価されるようになりました。任される仕事の幅も増え、営業所でも注力製品のプロモーションリーダーを任されるようになり、高い視点で仕事をする機会も増えました。

そんな時でした。
「初めてこの県に支社ができるので、一緒に働きませんか?」
国内大手生命保険会社からのヘッドハンティングを受けました。はじめは、あまり興味はありませんでしたが、

「誰のために仕事をしていますか?」

この質問をきっかけに自分の人生と仕事を考えるようになりました。

MRの最終目的は患者様に医薬品を届けることです。しかし、現実は会社のため、如いては自分のために医薬品を販売しているのが実情です。

私は学生時代、勉強を中心に頑張り、いわゆる良い大学に入り、そして、一部上場会社に入社することができました。妻にも会うことができ、子供にも恵まれました。しかし、想像したよりも幸福感を得ることができていませんでした。
「誰のために仕事しているのか」を掘り下げていくとその原因がわかりました。

「誰かのためでなくて、自分のために生きてきたんだ」
という気付き。

生命保険は万が一を助けるだけではなく、経営者にとっては財務を改善するツールにもなります。
MRでは解決できなかった経営者として先生の悩みも、財務の観点から貢献できる。
それによって、先生が診療に集中できる環境が整い、今まで以上に患者様への貢献に繋がるはずだと思いが決め手となり、転職を決意しました。

個人事業主として生きるということ

転職に際しては周りから反対の嵐。安定した会社と安定した給与がある中で、あえて完全歩合制の保険外交員への転職。守るべき家族もいましたが、やりがいと成長をお求め、保険業界に飛び込みました。

しかし、現場に出てからは、落ち込む毎日。一生懸命に生命保険の大切さを採用された支社は地元ではないので、知り合いは決して多くありません。連絡できる先は1ヶ月でなくなりました。そして、入社して早々に契約をお預かりした方が、仕事を休職するほどの大事故にあった時は、「自分が事故を引き寄せたのでは?」と暗澹たる気持ちになりました。財務の面から経営に貢献したいという思いも、会社を経営している友人からの「会社を経営したことのない人に経営のことは分からない」という一言で揺らぐ始末。「この先やっていけるのだろうか」そんな気持ちでいっぱいでした。

今まで如何に恵まれた環境で仕事をしていたかということも痛感しました。そして、その環境に感謝するどころか不平不満ばかり言っていた私
保険の外交員はかかる経費は全部が自己負担。当たり前に使っていた営業車に、携帯電話代は自己負担。会社でのプリントコピーですら、月末に請求があがります。その中で、契約を取り続けなければ、給料はなくなります。サラリーマンの時は当たり前なことが、個人事業主では当たり前ではありません。
初期投資のため、給与以上にお金を使うことが多く、日に日に目減りしていく貯金。「このままで家族を守れるのだろうか?」覚悟はしていたもののそのプレッシャーは想像以上でした。

しかしある日、ご開業されている先生にそんな弱音を聞いてもらっている時にふと気づきました。ご開業されている先生は、家族だけでなく、借金や従業員とその家族の人生までも背負いながら、診療をしているのだと。考えてみれば先生の方が自分よりも更に過酷な環境にいることに今更ながら気づいたのです。

「落ち込んでいる暇はない」

前を向き始めました。覚悟を決めてどこに住んでいるかに関わらず、200軒ちかく電話帳に入っている友人、知人には片っ端から電話し、保険の営業をしました。もちろん優しい反応だけではありませんでしたが、徐々に味方になってくれる方も増え、よそよそしかった先生も勉強して役立ちそうな情報をお届けすることで話を聞いてくれて、他の方の紹介ももらえるようになりました。事故にあわれた方も休職は余儀なくされたものの命には別状がなく、現在、職場復帰を目指してリハビリ中です。経営者の友人からも保険契約を預かることができました。

保険会社の勤務経験を通じて個人事業主として生きることの孤独とやりがいを知りました

経営戦略研究所との出会い

更なる成長のためには、「自分自身の生き方、あり方」を見直すということでした。
自己啓発の本を読んだり、セミナーに参加したりする中で、Wantedlyという会社の女性社長のスピーチを聞く機会がありました。Wantedlyは「どの会社で」「年収はいくら」という視点で仕事を探すのではなく、自分の「好きなこと」「得意なこと」「やりたいこと」から、「仕事に情熱をもって働ける場所を探す」ということをコンセプトにした転職サイトです。
興味本位で私も検索してみました。

「MR経験の中で感じた、もっと先生方のお手伝いを通じて、医療の現場に貢献できる仕事。また、MBAを取得するなど、自己研鑽もしやすく、そして自己成長がそのままお客様への貢献に繋がる会社」

「そんな都合の良い会社ないよな」と思いつつも、キーワードを入力し、検索してでてきたのが、経営戦略研究所でした。
「コンサルティングを通して医療を変える」
「ノルマなし、予算なし」
「そして会社には高い向上心と行動力をもった先輩コンサルタント」

それを私もそのまま鵜呑みにしたわけではありませんでしたが、それからHP、著書を通じて岩渕を知っていくなかで、気づけば応募していました。

正直、直接お会いしてお話するまでは「本当にそんな理想的な環境があるのだろうか?」と完全には不信感を払拭できていませんでした。
しかし、詳しく話を聞くうちに魅了されました
一般的に会社がお客様に貢献できるのは、『商品』を通じて、『財務』の面から、『HPのようなシステム』部分だけのように一方向からのサポートだけだったりします。
しかし、経営戦略研究所のコンサルティングは違います。トータルでクライアントに貢献することが可能なコンサルティング

ここでなら顧客に貢献し、自己実現できると確信しました。

「就職・転職活動は恋愛と同じ」と知人が言っていましたが、まさに恋に落ちた瞬間かも知れません(笑)
「このままではダメだ」ともっと自分を追い込む必要性を感じ、家族に我がままを言い、一年間の単身赴任を決めました。
入社前に「当社のカリキュラムはMBAのカリキュラム以上ですよ」という話を岩渕から聞いていましたが、嘘偽りはありませんでした。膨大で質の高いカリキュラム
ここで学んだことを一人でも多くの先生、スタッフさんと共有したい!

それとともに、仕事に後ろ向きで、自分のために仕事していた過去の私を反面教師として、
仕事に前向きで、周りをハッピーにする人が増えるように、そして経営者である先生に寄り添い、医療経営を間近に見てきた経験に加え、生来の粘り強さと強い覚悟で伝えていく、サポートしてくことで地域一番医院の創出に挑む。
「医院に関わる全ての人が幸せいっぱい」、そんな素敵な医院を一緒に作りましょう!よろしくお願いします!!

top