地域一番アドバイザー菅原 秀樹

略歴

東京都東大和市出身
大学卒業後、リクルートの求人広告代理店にて営業職として勤務。入社当初からのこだわりは、「顧客の期待に応える、、、」ではなく「顧客の期待を超える」仕事をすること。時には自分の成績にはならない事でも、お客様の採用支援のために何ができるかを考えて実践。結果として、リクルートの営業ソリューションコンテスト(お客様の課題に対しての、取組み、成果)にて代理店では初の年間大賞を受賞。また、リクルートだけでなく他求人媒体も含めた全国求人情報協会の年間大賞も受賞しています。

同社内で営業企画の立ち上げ、営業部全体の目標設定、営業推進、業績管理、マネジメントなどを実施。組織全体のPDCAをまわすべく幅広く業務に従事。マネージャーとして部下5人のマネージメントも実施してきました。

その後、新たな成長を志し、マネジメントコンサルティング会社に転職し、新規事業(人材紹介事業)の立ち上げに参画。主にはキャリアアドバイザー業務を通じて、転職者の支援、事業の環境整備、部下のマネジメント業務を実施。

ビジネス人生が20年を超え、折り返しに近づいてきたため、今後のキャリアを模索。「より関わる人への貢献を身近に実感できる」という軸でキャリア形成したいと考えが強くなっている時に経営戦略研究所と出会い、クライアントに深く寄り添った仕事ができること、また、しっかり行動すればクライントに効果を感じていただける仕事であることに、強く惹かれ入社を決断しました。

菅原 秀樹をより知って頂くために

幼少期~青年期

The公務員一家の長男

東京都出身ではありますが、幼少期には養豚場もあるような、のどかなエリアで育ちました。
両親、姉(12歳年上)、義理の兄がすべて公務員。公務員というと「まじめ」「規律」「保守的(安定)」というようなイメージを持つ人も多いと思いますが、まさに、そのキーワードそのままの価値観の中で育てられました。特に父親はもともと警察予備隊(現在の自衛隊)の1期生で、その後は公務員として法律関連の仕事をしていた関係で、『ど』が付く「まじめ」「規律遵守」なタイプ。
「お前のやったことは憲法の第〇条に違反しているんだぞ!」
と親子げんかに法律を用いて叱責するほど、日常の生活の中で親の仕事・公務員であることによる影響が色濃くありました。そのような家庭環境で幼少期を過ごしたことで、当たり前ですが僕の幼少期の性格も公務員型。特に「保守的(安定)」な考え方は、長い間僕の人格として根付いています。

大学ではスキー部に入部し、クロスカントリースキー競技に没頭。毎年3カ月間は雪山に籠っていました。入学前はスキーの経験が無かったため、全く興味がありませんでした。入学式の後、多くの部活やサークルが勧誘してくる中の一つにスキー部があり、タダ酒が飲めるということで、とりあえず飲み会に参加。その時の雰囲気に圧倒されました。東京の大学のスキー部で、特に強いわけではありませんでしたが、先輩たちは非常に高い「志」を持ち、全員が今より強くなることに対して本気で考えており、個性はバラバラではあるものの「共通の価値観・目標」がありました。その今までに感じたことのない強いエネルギーを放っているコミュニティの仲間になりたいと感じたことがスキー部入部のきっかけとなりました。
スキー経験が一切なく入部したのは僕だけなので、1年目は全くと言っていいほど使い物にはなりませんでしたが、高い志を持つ先輩方・仲間と切磋琢磨する中で「仲間の期待に応えたい」「ともにこの部活を高めていきたい」という事がモチベーションとなり、2年生になる頃には部内でも上位の成績をあげられるようになり、インカレ(4部)で約70名中4位を獲得。大学対抗ではインカレ4部で優勝となり、3部昇格に貢献という成功体験を積むことができました。

そのような経験から、コミュニティに所属する目的というのは「何をするか」だけではなく、「誰とするのか」「どのような価値観のコミュニティなのか」という事も重要だと感じました。また、自分にフィットした環境であればモチベーションを継続でき成長できることを体感しました。この経験は後々の僕の仕事にも生きてくることとなります。

順調だったはずの就職活動

就職活動は比較的順調な方でした。優秀ではありませんでしたが、体育会の部活をやっていたことで評価いただいていたと思います。複数選考が進む中で、早い段階で当時は業界大手の業務用キッチンメーカーに内定をいただきました。「衣食住は安定している」「大手で安心」と、ほとんど何も調べず・何も考えずに入社を決め、早々に就職活動を終了。
就職先の決め手は「安定」。幼少期に培った価値観でした。

自己分析もせず、就職先の事をろくに調べなかったツケは、早々にやってきました。
業務内容、働く仲間・先輩が自分の思考と全くあわなかったんです。スキー部の時に味わった「共通の目標を本気で追う」という環境とは程遠く、働く先輩社員も5年後・10年後の自分の「ありたい状態」には大きなギャップがありました。入社日をピークにモチベーションは右肩下がり。「安定」というキーワードに惹かれ、他の情報収集を怠っていた自分の落ち度に落胆しました。この経験から、人材採用・教育というテーマに興味を持ち、その知識・スキルを身につけるべく求人広告の代理店に僅か10カ月で転職することになりました。

売れない営業時代

「あなたからは買いたくない」

1社目を早期退職したこともあり、2社目で死に物狂いで働いていました。毎日100件以上の飛び込みをしながら新規顧客を開拓していましたが、顧客獲得・売上以上に意識していたことは、「顧客の期待を超える」ということでした。その為にも、どのような求人広告が応募獲得、定着・活躍につながるかを毎日のように研究。結果として社内外で広告が表彰され、広告効果を最大化するということでは社内でも一目おかれ始めていました。

そんな時にシステム開発をしている新規のお客様から、求人広告の掲載の相談をいただきました。
早速お客様先に伺い商談をしていると、
「エンジニア募集の広告を『〇〇駅すぐ』という広告コンセプトでだしたい」
と依頼をいただきました。エンジニアの応募を集めるためには、そのようなコンセプトでは難しいと判断した僕は、
「それでは効果は出ませんよ。」
「何故ならば、、、」
「こういうコンセプトはどうでしょう。。。」
と提案。それでもお客様は『〇〇駅すぐ』というコンセプトにこだわりを持っており提案は受けれられません。僕も僕なりの想いがあり提案を引き下げません。結果として、お客様から言われた言葉は、

「あなたの提案の理屈は理解した。しかし、あなたからは買いたくありません。

ショックでした。
プロとして正しい提案をしていたつもりでしたが、結論それは誤りであったということを突き付けられました。今までこだわっていた「お客様の期待を超える」の期待の中にお客様のこだわり・想いという要素が欠落していました。自分にとっての「正しい」を押し付けていたエゴだったんです。良い仕事をするためには、自分の想いとお客様(相手)の想いを統合していくことの大切さを痛感することになりました。

営業ソリューションコンテストで全国1位を獲得

ある時、先輩よりお客様を1社引継ぎで担当させていただくことになりました。従業員は10名程度のLANの配線工事をしている小さな会社で、配線工事スタッフの求人募集を年に数回するようなお客様ですが、この会社の社長との出会いが僕にとって貴重な経験になるとはその時は考えもしませんでした。
ある日、その社長と商談しているときに、
「社長、なぜこの会社を設立されたんですか?」
「今後、この会社をどうしていきたいんですか?」
と聞いたところ、そこから堰を切ったように社長が話し始めました。
・もともとは、ご両親が始めた会社であること。
・ご両親が体調が悪くなり、現在は自分が会社・想いを受け継いでいること。
・その実現の為にも、業界の常識に縛られず、新たなチャレンジをしたいこと。
…等、3時間にもわたり熱い思いを語ってくれました。特にご両親の事に関しては、目に涙を浮かべながら話していただけたんです。当時まだ20代の若造だった僕に本音でぶつかってきてくれた社長の気持ちに突き動かされ、
「ご両親の想いを、しっかりと受け継いでいきましょう!」
「新たなチャレンジに協力させてください!」
と、お客様と同じゴールを心から共有でき、そのことは素晴らしい経験となりました。

その結果、新たな会社のチャレンジを実現すべく、通常の配線工事スタッフ募集に加え、営業職、WEB・IT担当職、事務スタッフの計4職種の募集をすることに。
社長の想いを実現すべく、どのように採用成功に導くかを社長とともに考え、小規模かつ業界的に苦戦を予想していた募集でしたが、4職種合計で1,000人の応募者の獲得に成功。納得のいく方を採用いただけました。この仕事はリクルートの営業ソリューションコンテスト(お客様の課題に対しての、取組み、成果)にて代理店では初の年間大賞を受賞し、自分の財産となる仕事となりました。

このような成功体験を生かし、後にリクルートだけでなく他求人媒体も含めた全国求人情報協会の年間大賞も受賞しております。

人と働く難しさを実感

賞を獲得したことを機に、営業成績も上がるようになりました。自分ならお客様に成果をお返しできるという自信が出来たことで、お客様に対して力強く提案できるようになったことが大きな要因です。
その成果も認められ、社内の営業企画という部署の立ち上げに携わり、責任者となりました。
部署と言っても部員は僕一人でスタート。営業企画というと聞こえは良いですが、要は社内の「なんでも屋」です。会社の売上を上げるためなら、コレ!という業務は無く、企画・営業支援・ツール作成など実務も含めて文字通り何でもやっていました。

業務の中には部署間の調整役も含まれます。
「この業務は、どの部署が担当すべきか」
「どのような業務フローで運用すべきか」
というような企画をし、関係各部署と調整するような仕事です。
当時の僕が仕事で心がけていたことが「理屈>感覚」「スピード」「効率」でした。
なので、会議の場では人の発言に対して、
「それは論点がズレているよ」
「そっちの部署がその業務をやることが、効率的だ」
などと、人の意見をバッサリと切り捨てたり、自分基準の『べき論』を押し付けたりしていました。

そのようにプロジェクトのマネジメントをしている時に、
「菅原は現場のことが分かっていない!」
「そんな判断をされたら、うちのメンバーは潰れてしまう!」
と、かなり強い口調で責められる事態がおきました。
こちらとしては事前に調査し、できる見通しがたっていたので、余計とも思えるその反応はプロジェクトの進捗スピードを遅くすると思い、瞬間的にイラっと怒りを感じました。反論しようとしたその時に、ハッと急に過去の事を思い出しました。営業時代にお客様から「あなたからは買いたくない」という言葉を。

自分の主張が仮に正しかったとしても、相手がそれを「やりたくない・できない」と感情的に思っていたら実現しない。理屈だけではなく、相手の気持ち・想いを汲み取り、自分と相手との想いを統合する必要があると。社外に対しては、学んだ教訓が社内では全く生かせていない自分に気づきました。

結局その問題は、後日対象部署と別途話し合う時間を設け、相互理解し、共通のゴールを設定し、実現のための課題とその乗り越え方を共通認識することで、プロジェクトは再度前に進み始めました。
当初のスケジュールより大幅に時間を費やしましたが、「早くて結果がでない」より「結果が出ることを前提とした中でのスピード」が重要であると、その時実感しました。

この経験をきっかけに、自分が何かを得たいと思ったら、まずは関わる周囲の人(プロジェクトであればプロジェクトメンバー、部署であれば部下)の気持ちに寄り添い、その気持ちに対して協力的であるような態度を示すようになりました。そのようなスタンスになってからは、任されたプロジェクトは円滑に進行するようになり、会社からも大事なプロジェクトを徐々に任せてもらえるようになっていきました。

「保守的(安定)」からの脱皮

求人広告代理店で勤めて20年近く経ち、残りのビジネスキャリア20年をどうするか。。。と、ふと考えるようになりました。役職にも付き、1人で始めた営業企画も6人体制となりマネジメント業務をしていました。キャリアもそこそこ長いこともあり、極端に言うと何をしても許されるような立場になっていました。誰からも指示されるわけでもなく、誰からも怒られたり、否定されることはありませんでした。慣れた環境なので、楽で快適ではありましたが、少し物足りなさを感じていました。
年々、仕事から得られる成長が少なくなっていました。若い頃は何もかも未経験で、仕事をするたびに成長を実感したり、仕事から刺激を得てきましたが、経験を積めば積むほど得られることが年々少なくなっていました。新しいことにチャレンジしても、どこか過去の延長線で仕事をしているような感覚です。今後は更に成長実感・刺激は少なくなるのでは。。。という事は容易に予想ができました。

成長実感はチャレンジの量に比例する。手なりではないチャレンジ。そのようなチャレンジはもう同じ職場では得られない。」
これが最終的に出した結論でした。妻と2人の子供がいたため、根っからの「保守的(安定)」思考の僕にとっては勇気を要しましたが、失敗しても死ぬわけではないか。。。と自分に言い聞かせ、20年在籍した会社を離れることにました。

経営戦略研究所との出会い

その後、歯科業界に特化したコンサルティングを提供している経営戦略研究所と出会いました。歯科のコンサルティングは、僕のキャリアとは縁遠く感じ、最初はそれほど興味を持てませんでしたが、実際にコンサルティングの方と会って話を聞くと、今まで経験してきたマネジメント経験、求人活動支援の経験など、活かせる要素があることに興味を持ち始めました。それ以上に僕の興味関心を引いたのが、「自社よりもクライアントを重要視する」という事を本気で取り組んでいる事。口先だけでなく、その想いが制度、評価、取組み等に具体的に反映されており、「これは本気だ」という確信が生まれグッと引き込まれました。

経営戦略研究所が長年培ってきた歯科医院発展のメソッドをお伝えすること、また自分の経験を少しでもクライアントに還元し貢献。
僕の過去の反省を活かし、成功のセオリーを押し付けるのではなく、医院の方針・実態を認識したうえで、「実現可能を前提としたハイスピード」で一緒に取り組ませていただけますと幸いです。