地域一番ディレクター乙川 和弘

略歴

千葉県出身。大学を卒業後、リクルート系列会社に新卒で入社。

入社後、2年目には3ヶ月毎に上がる高い目標を年間達成しグランドスラムを受賞。その後、ヘッドハンティングを受けプルデンシャル生命に入社。

紹介・口コミだけの見込顧客の発掘から、多くの歯科医師、歯科医院とのつながりを構築する。保険の契約だけでなく、歯科医師勉強会グループ運営、セミナー運営・発表、医院経営相談にも携わる。

リクルート時代、先輩だった渡邊との出会いをきっかけに経営戦略研究所の事を知る。歯科業界において、より高い専門性を深める大切さに気付き転職を決意。

乙川 和弘をより知って頂くために

幼少期

千葉県東金市という電車が一時間に一本という自然のあふれる街で育ちました。父・母・姉の4人家族、親族のほとんどが女性、家周辺にも姉の友達ばかり住んでいたのと、今の見た目からは想像がつかないかもしれませんが中学生の頃まで小児喘息を患っていたので、いつも遊ぶ時は、あまりほこりが舞うことがないような遊び方、例えばおままごとやお人形さん遊び等、女の子の遊びが多い中で育ちました。頭の中は「女の子に嫌われたら終わり」と思い、「次はパパ役ね、その次は弟役、その次は・・・」というような無茶ぶりにもすぐに対応して溶け込めるようなカメレオンのように過ごしていました。しかし幼稚園に入り、活発に戦隊ヒーローのものまねをする同級生に憧れ、「一緒に遊びたい」という気持ちが強くなり、彼等のやっている事をじっと観察して同じことを真似するように遊びました。協調性と言うよりもとにかく周りに合わせれば間違いがないというように場の空気を読む子でした。

「おれは親を継ぎたいから歯科医師になるけどお前は何になるの?」

小学校4年生から中学校卒業まで、地元で厳しくて有名な進学塾に通いました。その塾には他の学校からも多くの生徒が通っていて、医科や歯科の子供も多く通っていました。彼等とは6年間、週2回、夏はほぼ毎日一緒に勉強をしていたので今でも仲が良く今も時々食事に行きます。最初の3年間はそこまで学力の違いはないように思いました。しかし中学校に入ってから急に学力の差がついたと感じました。「みんな頭が良いな」と思いながら塾の休み時間に友達と他愛もない話をしていると友人からこんなことを言われました。「おれは親を継ぎたいから歯科医師になるけどお前は何になるの?」「えっ、おれはねぇ・・。」急に頭をハンマーで叩かれたような衝撃を覚え何も言えませんでした。「みんなもう将来のことを決めているのか。」この時に感じたこと、それは彼等との勉強の差ではなく大きな目標の差でした。私の目標は高校入学で、親からのアドバイス通り地元の公立高校に入学することでした。「その高校に入学できれば親も喜ぶだろうし、公立だからお金もそこまで負担させない。自転車で通える距離だし心配させることはない。自分も達成感を感じるし大丈夫だろう」と思っていました。すごく短期的な目標ですよね。しかし彼等の目標は「歯科医師、もしくは医師になること」だったのです。「目標のレベル(人生の志)」が違いました。聞いた時に受けた大きな衝撃は時間の経過とともに「まぁ親が医者だから、彼等もそうなるのが当たり前だよなぁ」と、彼等との違いを認め自分を納得させようとしていました。人間は自分の安定したリズムから脱却することにとても大きなストレスを感じる動物です。「自分はこのままで大丈夫」と心のブレーキをかけていましたが、心のどこかで彼等のことを羨ましく思っていました。

私は高校入学という短期的な目標を設定しました。しかし彼等はドクターになるという長期的視点を持ち、ドクターになるには、まずどんな高校に行く必要があるのか。その高校にいくためにはどの位勉強をする必要があるのか。という事を計画立て、高い目標を掲げて受験勉強をしていたのです。目指す目標が違えば行動が違います。歯科医師という目標を決めた彼等のモチベーションは高く、学びを吸収するスピード、勉強の質・量が全く違いました。結果、私達はそれぞれ志望する高校を合格することが出来ました。しかし学校に合格したことがわかった時の態度は全く異なるものでした。「長期的な目標を早い段階で決めるかどうかで将来の選択肢は広がる」ということを学びました。

スノーボードとの出会い

高校入学後、「何か新しいことを始めたい」と思っていた時に、スケートボードでお世話になっていた仲の良いスタッフさんから「スケートボード上手いからスノーボード一緒にやろうよ!」と誘ってもらい始めることにしました。スノーボードは、道具代、旅費、交通費など、とてもお金がかかるスポーツなので、それからはアルバイトでお金を貯めながら週末は室内練習場か山に行くに行くという生活を送るようになりました。

スノーボードで一番大事なことが私には出来ませんでした。それは車の運転です。高校生の私には車を運転することが出来ないので、山に行きたい時には誰かの車に乗せてもらわなければいけなかったのです。ちなみに一緒に乗せてもらうとしたら、私より年齢が15~20歳くらい上の立派な社会人のお兄さん達です。彼等の気持ちを考えると、ほとんど丸2日間男子高校生の子守をするようなものです。誰も乗せたいなんて思うわけがありません。でもスノーボードをするためには車に乗せてもらう必要があるのです。
「気持ちよく車に乗せてもらうにはどうしたら良いか?」
「一緒にいて楽しく過ごしてもらうにはどうしたら良いか?」
「自分と一緒に行くことでどうしたら満足度をあげられるか?」
「どうしたら年上の人達に気に入られるか?」を常に考えていました。

「何か話を振られたら元気な返事や良いリアクションをする」
「言われたらすぐに動く」
「一緒に行った時には誰よりも練習する」
「行き帰りの車中では何があっても絶対に寝ない」
「運転の休憩中にさりげなくコーヒーかレッドブルを差し入れる」
「大人の人達がどんなものに興味を持っているか雑誌で研究する」
「海外国内問わず人気のあるプロ選手を覚える」
など、自分が出来る事を徹底的に行いました。
その結果「来週行くけど一緒に乗って行く?」「高校生なのに面白いししっかりしてるね」と声をかけてもらえる機会が増えていきました。一緒に行くことが当たり前になった頃に一度だけ何故連れて行ってくれるのか?を聞いたことがありました。「う~ん、それを言われると確かにそうだし難しいけど、もう仲間だからね」という言葉を聞き、照れながらも「人は年齢関係なく信頼関係が大切なんだ」ということを学びました。

そしてスキー場では「その山にいる誰よりも自分がたくさん練習する」という気持ちで朝から晩まで、休憩や食事はリフトに乗っている時にパンをかじって済ませるなど、1日でリフト50本位滑っていました。スノーボードの世界は人間関係が狭く、上記の取組を継続することでプロスノーボーダーの方達とも一緒に滑りに行く機会も増えました。彼等との練習はとてもストイックでした。同じ技に挑戦していて何度やっても出来ない時には「今日はこの技が出来るようになるまで帰れないよ」「自分の気持ちに負けてたら一生出来ないから」等の叱咤激励をしてもらうことで、「何度転んでも必死で練習することで出来るようになる」という小さな成功体験を積むことが出来ました。その後は、定期的に各地のスキー場で開催される大会に出場することになりました。最初は緊張から自分の実力を発揮することが出来ず予選落ちをすることが多かったのですが、次第に決勝進出を果たし入賞を出来るようになりました。「この調子でいけば、スポンサーについてもらえるかもしれない」と練習に励んでいた矢先に怪我してしまいました。大学進学を控えている大事な時期だったのでプロを目指すことは断念しましたが、スノーボードを通じて「年齢関係なく信頼関係は築ける」「諦めずに反復練習をすることで必ず身につけることが出来る」ことを学びました。

リクルート就職

中国に1年間留学した時に仲良くしていた海外の友人達が、
自分の国の事を熱く語る姿を見て「私は自分の国の事を何も知らないな」と感じました。
「もっと自分の国のことを知ろう」という想いから、
「なるべく多くの業界と接点がある会社」
「若いうちからどんどん現場を経験できる会社」
「社長の直接話を聞ける会社」
を軸に就職活動を行い、リクルートに就職する事になりました。

当時新人が配属されて最初に行われるイベントがありました。
それは挨拶回りという位置づけで行われる「名刺獲得キャンペーン」です。
「3日間300枚(1日100枚必達)」という最低限の目標があり、
新人が自分で「何枚出来るのか?」という目標を設定するのです。
私の教育担当の先輩はMVP常連、チームにも営業成績の良い先輩達が居て、
まさに少数精鋭現場叩き上げ部隊でした。

社会人初めての目標設定の時間、
先輩「お前は1日何枚目標にする?」
私 「とりあえず初日なので100枚やりきりたいです」
先輩「・・・何で100枚なの?」
私 「初日なので様子を見たいのとちゃんと数字をやりきりたいからです。出来なかった時に申し訳ないので」
先輩「最低100枚でそれを目標にするの?」
私 「はい」
先輩「同期の〇〇は200枚って言ってるけど」
私 「ぼくは100枚にします」
先輩「それは最低限の数字だから」
私 「でも経験してないし分からないので」
先輩「最低限を目標にして意味あるの?」
という押し問答を数時間続け、半ば強制的に目標数150枚×3日間にさせられました。

1日目。人生初めての飛び込みで社会の厳しさを体感しました。目の前で名刺を破られる。会社を出て挨拶をした瞬間にゴミ箱に名刺を捨てられる。玄関に塩をまかれる。「とりあえず名刺だけ交換して下さい」と伝えたらその場で会社に連絡される。結果98枚で終わりました。「ポキッ」心が折れる瞬間が分かり、100枚までの残り2枚をもらいに行く勇気がなくなりました。帰社すると早速先輩から別室に呼ばれ「何で最低限にも到達してないの?しかもあと2枚って悔しくないの?」と数時間のお叱りを受けました。本当にその通りだと思います。私は自分の感情に負けたのだと感じました。

2日目「昨日の二の舞にはならない」と意気込んで挑んだ2日目は126枚。昨日の自分を越えられたと満足して帰社しましたが、先輩にそのまま別室に呼ばれ「あと24枚なら時間配分で何とかなったよね?」とお叱りを受けました。自分の目標は100枚ではなく150枚だからです。目標に対して自分が腹落ちしていないと感じました。

3日目「もうどうにでもなれ」と覚悟を決めて取組んだ結果165枚。帰社すると先輩が、新人全員分の結果報告書を見て「3日間で右肩上がりに達成したのは83人中お前だけだよ。今日は目標も達成したしよくやったね」という言葉をかけてくれました。3日間は毎日振返りで号泣していましたが、この経験から、「自分が限界だろうと決めつけているよりも、本当の限界はもっと高いところにある。限界を越えるために覚悟を決めて行動する」という事を学びました。

その後の半年間は、毎週の行動目標が決められていて訪問90軒、電話150件でした。
「それだけは絶対に達成しよう」と行動目標は達成しましたが、契約の受注という結果を出すことが出来ず、
「なぜ結果が出ないのか?」
「これはやっていて意味があるのか?」
「営業経験の長い先輩の方が有利に決まっている」
と結果が出ないことを「自分のせいではなく環境が悪い」と考えるようになっていました。
「目標の数字を達成することが目標」になり、行動に対する大切な「意味付け」が出来ていなかったのです。
徐々に電話や訪問の数が少なくなり、とうとう同期83人の中で最下位の成績になってしまいました。
自分が同期で最下位になったことを周囲も知っているので、どうにかしようと話を聞こうとしてくれましたが、「自分がここにいることで迷惑をかけてしまう。少しでも存在を消したほうがいいのではないか?」と考えるようになり、「大丈夫です」という言葉で自分の殻に閉じこもるようになりました。
人は自信がなくなると自分の事を中心に考えるようになります。そして全てを自分の中で解決しようとします。しかし自分で解決に至る人はほとんどいません。私もそうでした。
結局、チーフに色々話を聞いてもらい救われました。「お前が訪問するなら同行するよ」「今日電話する所のトークを一緒に考えよう」「自分が出来る所から目標を立てよう」何か大きな事を改善しようとするのではなく、小さな事から改善していこうと寄り添ってもらえる事を嬉しく思いました。そして「いつまでも甘えていても自分が変わらなければ何も変わらない」「自分が変わろうと行動しなければ周囲の環境も変わらない」と決心しました。
リクルートには「自ら機会を創り出し、機会によって自らを変えよ」という社訓があります。
その時に初めてこの言葉の意味を理解することが出来ました。
自分が積極的に行動することで周囲の環境は変えることが出来ます。
「お客様が私達に求めているものは何か?」「私がお客様に貢献できることは何か?」「どんな営業だったらお客様は時間を作ろうと思うか?」人は話をすることで、思考が整理され自分の目標が明確になります。
「せっかく時間を頂けるならお客様の思考を整理してもらえる壁打ち相手のような存在になろう。」
「お客様が話したくなる環境、雰囲気作りが出来るようになろう。」
と決めました。自分のやるべきことが明確になれば人は無双状態になります。
「お客様に貢献するためには、まずはお客様と多くの接点を取る必要がある。」
再び電話と訪問をスタートしましたが、ただ行動するのではなく、自分の行動に対して「なぜこれをやる必要があるのか?」「やった結果どんなゴールがあるのか」という明確な意味付けをすることで、自分で道を切り開くように行動することが出来ました。「環境は与えられているものではなく自分が作るもの」なのです。

「どうやったら結果を出すことができるのか」とにかく「人がやっていないことをしよう」と決め、
・市場に朝5時から飛び込む。
・先輩が通っていない企業を調べ通い詰める。
・人事や社長の困っていることをお手伝いする。
自分が出来ることを行ない、徐々に自分の仕事のペースが分かってきた矢先に福岡への異動が決まりました。

渡邊との出会い

福岡では弊社の渡邊と出会いました。半年間同じチームで席も隣でした。
渡邊は当時から「顧客に真摯に向き合うこと」「相手の話を全力で聞くこと」「常に笑顔を絶やさず明るくいること」を実践していて、まさに社内のムードメーカー的存在であり仕事でも成果を上げていたので「こんな人になりたい」と思いました。渡邊からはいつも気づきを頂いています。

私達が扱う商品は主に毎週発行される求人誌で、毎週締切があり、スピード感のある仕事でした。
1年を3ヶ月で区切り、グループ全体の3ヶ月の目標数字が会社から与えられます。それをチーム毎の目標数字に振り分け、各営業の目標数字が決まります。3ヶ月目標→1ヶ月目標→週間目標と目標を細分化するので最も短期的な目標は週間目標でした。「自分の目標を達成したら大丈夫だろう」という自分本位な考えで仕事をしていたのがその考えが態度で伝わったのでしょう。MTG終了後、渡邊に別室に呼ばれました。「グループ全体の事を考えるのは難しいかも知れないけど、まずはチームで目標を達成するために自分が出来ることを考えよう。自分の数字は達成して当たり前。チームが目標を達成するために何ができるのか?チーム内でどんな存在、立ち位置でいれば良いか?考えて実践してみよう!隣だしいつでも相談してくれて大丈夫だから」という言葉を頂き、まさに「自分の理想像がここにいる」と思いました。それまで先輩からのアドバイスは、目標を達成してもしなくても「これ出来てないよね」「あれはちゃんとやったの?」等、自分の出来ていない部分、課題を詰められることばかりでした。そのために「モチベーションがあがらない面談なんてやらない方が良い」と思っていました。しかし渡邊は「おっ、これ出来てるじゃんすごいね!」「これはもう少しこうした方が良いと思うけどどう思う?」等、「面談とは相手のモチベーションを上げて次へのエネルギーにするもの」自分が経験して分かりました。
リクルートでは年齢関係なく尊敬する「人」に囲まれて仕事をすることにやりがいを感じ、その結果、グランドスラムという通期達成の賞を取ることが出来ました。入社当初の私を知っている方達からは「えっここ表彰の席だけど座る場所間違えてない?えっ、まさかお前が取ったの?!まじか~!おめでとう」という声を多数頂きました。入社当初の私はそれ位劣等生だったのです。「自分の目標を達成することは大切だが、チーム、そしてグループ全体が達成するために自分が出来ることをする」この経験からチームワークの大切さを学ぶことが出来ました。

プルデンシャルとの出会い

グランドスラムという目標を達成した後は、燃え尽き症候群になっていました。入社時から「営業で結果を出すことが出来たら別の企業に転職してチャレンジしよう」と決めていたからです。「自らを厳しい環境にいないと成長スピードが落ちる」「慣れは自分にとって良くない」と考えていました。燃え尽き症候群を打開するには、「中長期的な目標を設定すること」「決めて行動すること」それしかないのです。「自分はどんな人生を歩みたいのか?仕事を通してどんな人になりたいのか」を考えていました。そんな時期にタイミングよくプルデンシャルからスカウトの電話を頂き、話を聞くことにしました。当時、営業としてのスキルアップのために、様々な業界のトップ営業の本を読み漁っていました。その中にリクルート出身で活躍している先輩方が多数いたのです。活躍しているには理由があります。私が感じた活躍している方々の共通点は、「人としての魅力」です。保険を販売する前に人として信頼、約束を守る、時間を守る、凡事徹底等、基本的な事を圧倒的なレベルに行なっていたのです。「自分もこんな大人になりたい」と思いました。「厳しい世界だけどこんな世界で仕事がしたい」そう思うようになり、3ヶ月後には入社を決めていました。

多くのライフプランナーは自分の得意分野を決めてその業界に特化して仕事をします。
私は業界を決めず、人から人へ紹介をつないで頂きながら仕事をしていたので、時間・曜日・関係なく働いていましたが、「このままだとお客様に保険金をお支払いする前に自分の保険金が降りることになるかもしれない」と感じ「そろそろ自分の得意分野を決めて仕事をしたほうがいいかもしれない」と考えていました。
そんな矢先、前出した中学校の塾の友達達と年末に10年ぶりの忘年会として再会をすることになったのです。
彼等は無事に歯科医師やドクターになっていました。初志貫徹で自分達の目標を叶えていたのです。
「最近どうなの?」というお互いの現状確認から始まり私の番になりました。
「リクルートからヘッドハンティングを受けてプルデンシャルで働いてる」と伝えると「めっちゃすごい!そんなドラマみたいな話あるんだ!相談していい?」と、とても良い反応をしてくれました。
私は彼等が初志貫徹で目標を叶えていることがすごいと思ったのですが。

その中の1人が強い影響力を持っていて、どんどん歯科医師や衛生士の友人達をつないでくれました。
私は彼との再会から歯科業界の人とのつながりを広げることが出来ました。

歯科医師、衛生士、助手の方々と会い、話を聞かせて頂く機会が増え、「彼等の悩みや課題を解決する事」にやりがいを感じ「先生方が診療に向き合える環境作りに貢献したい」「医院経営を成功するお手伝いをしたい」と思うようになりました。歯科関係の友人が増え、結婚式に参加させて頂くなどプライベートでも仲良くなりました。歯科業界に特化し数年が経ち「採用が上手くいっていなくてどうしたら良いですか?」「自費率どうやって上げたら良いですかね?」「新しい取組でセレック導入しようと思っていますがどう思います?」「ちょっとスタッフの話を聞いてもらってもいいですか?」「法人内の会議で何かプレゼンしてもらえますか?」「今度若手歯科医師で勉強会するので何かお話してもらえませんか?」等、保険と関係のない歯科関連の相談を頂くことが増えていました。「ライフプランナーとして生命保険の大切さを伝えることにやりがい」を感じていましたが、同時に「歯科に関する相談、課題を解決する事にやりがい」を感じるようにもなっていました。

経営戦略研究所との出会い

ある時、歯科医師の友人から「知人が困っているから相談に乗ってもらえますか?」と連絡が来ました。
早速お会いして話を聞いてみると「開業から順調にレセプト枚数が増えて来たのですが、予約のアポが取れない状況になってきているのでユニットを増やそうと考えています。テナントに入っているので移転するか、スタッフルームをなくすか悩んでいるのですがどうしたら良いですか?」という悩みでした。「この相談は流石に自分では難しい。会社の先輩か税理士さんに聞いてみようかな」と考えていた時に渡邊の事が頭に浮かびました。
「そういえば歯科コンサルタントに転職したと言っていたっけ、何かアドバイスをもらえるかもしれない」と電話をかけました。すると「そのケースだったら、まずは〇〇を確認して、それが出来るなら〇〇、出来ないなら〇〇。次に〇〇で・・・。」と明確な筋道が立った解決策をわかりやすく電話で教えてくれたのです。その内容をお客様にお伝えすると「乙川さん本当にすごいですね!まさかこんな回答を頂けるとは思わなかったです。ありがとうございます!」と喜んでお帰りになりました。「保険の大切さをお伝えすることで感謝されることはあるけど、アドバイス1つで、こんなに喜んでもらえる仕事ってすごいな」と思いました。その後も相談は増え、
医院に訪問した時に「この医院どう思います?どこか変えた方が良い所はありますか?」と言われることもありました。「いやっ先生、ぼくは設計士じゃないし専門知識を持っているわけではないので分からないのですが、強いて言えば他の医院さんではこういう感じにして・・・。」とお伝えすることもありました。相談や課題を解決することに充実感を感じていましたが、「自分は何者なんだろう」「もっと院長先生やスタッフさんに貢献するにはどうしたらいいだろう?」と考えるようになりました。また、信頼関係を築き相談事を解決した先に保険加入が待っていると信じていたので、「お客様の悩みを解決できるなら」と思い、相談時のお茶、ご飯、医院に訪問する時の交通費は全て自分で賄っていました。保険に加入していてもいなくても相談料0円です。何度か国や島に渡ったこともあります。歯科業界との関わりを通じて「保険の大切さを伝える事」から「歯科医院に関する相談や課題を解決すること」それが私のやりがいに変わっていきました。そして「こういうことを専門的に仕事に出来たら先生方にも自分にも良い成長になる」と考えていました。そんな時に渡邊から「今度社長と3人でご飯を食べよう!」と連絡を頂き岩渕社長とお会いすることになりました。お会いする前から先生達から実践会のことは聞いていたので会えるのを楽しみにしていました。社長はお酒を一滴も飲みませんが、「歯科業界に対する想い、会社のメンバーに対する想い、家族への想い」を5時間位熱弁する姿を見て、「こんな熱い人と働けたら幸せだろうな」と思いました。先生達に相談したら「絶対行ったほうが良いですよ!」「乙川さんには本当に良くしてもらったし、御社の方ならみんないい人だろうから保険のことは心配してないですよ」という言葉を頂き、経営戦略研究所に転職することを決意しました。

クライアント様のために尽力していきますので、宜しくお願いいたします。