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地域一番ディレクター萩原 直樹

略歴

千葉県出身。大学を卒業後、22歳でスリランカ人と二人で 紅茶の輸入会社を起業。当時、日本にほとんど浸透のしていなかったスリランカの地域特定茶葉を選定し、ブランド企画、商品流通ライン設計、各種輸入業務を実施。飛び込み営業も含め、東京を中心に約80社との契約を結ぶ。銀座の某デパートにおいては月間優秀商品賞を受賞。しかしパートナーとの文化的ビジネス感覚の違いから、わずか一年で全権を譲渡しパートナー解散。その後、紅茶会社で培った営業力を武器に大手求人広告会社へ入社。在籍中は営業としてグループMVP、チーフとしては全社MVPを受賞。18ヶ月連続売上・新規数字目標達成 記録を持つ。その後、上記広告会社から独立した採用コンサルティング会社の立上げコンサルタントとして勤務。在籍中は大手ナショナルチェーン企業を担当し、組織の仕組化を提案。人材採用部門だけでなく、より経営に近いビジネスをしたいと考えていたところ、経営戦略研究所に出会う。岩渕と会話をし、ここに自分の一生の道があると感じる。採用の仕組、組織設計を9年間経験しており、ヒトに関する提案が得意。培った知識と経験で医院の"仕組みづくり"にあたる。

萩原直樹をより知っていただく為に

幼少期

「いる?いらない?」

この言葉は少年の私にとっては残酷でした。ドッチボールのチーム分けじゃんけんで余った人がいる時にチームリーダーが確認する言葉です。じゃんけんで勝った方は私に「直樹君はいらない。」と宣告するのです。辛かったですね。幼い頃、私は体が弱かったのです。病名は内緒にされていましたが体が疲れやすく、スポーツをお医者さんからストップされていました。友達に「いらない。」と目の前で戦力外通告されるのは悲しかったです。その頃から人に“必要とされたい”と考えるようになりました。その後、小学校3年生まで飲み続けた薬のおかげか、4年生からは薬を飲まなくなり、運動に興味を持つようになりました。

「健康は当たり前じゃない」ということを知っていたため、健康である体を大事にしました。そして体を鍛えるために野球、サッカー、バスケ、相撲など、様々なスポーツに手をだしはじめ、飲み物は常に野菜ジュースを手にしていました。当時の野菜ジュースは今ほど美味しくなくて、ぎゅっと両目をつぶって一気飲みしていた事を覚えています。短期間で運動能力は急激にあがり、ドッチボールでもメンバー選びの早い段階で選ばれるようになりました。この変化は子ども心には悲しくもあり、嬉しい体験でもありました。生まれた時から体が弱かった私にとって健康は「失って初めて気づく大切なもの」ではなく「得て初めて気づく大切なもの」でした。

紅茶ビジネスとの出会い

「新しい会社作ってみる?」

外語大学を卒業してベンチャー商社で働いていた私は悶々とした毎日を過ごしていました。内定時に話を聞いていた英語の仕事が全くない、せっかく親にお願いして学んだ知識が全く活かせない、など不満だらけでした。今振り返ると自分を仕事に合わせるということができていない、どこにでもいる新卒学生でした。

外語大を卒業した私は多くの海外人脈を持っていました。その中にスリランカ人がおりました。このスリランカ人は実家が裕福で現地に多数の農園コネクションを持っており、日本に流通していない茶葉を手に入れられるとのことでした。ちょうどその頃日本の野菜業界では生産者の写真を出した農園限定野菜が売れ始めていました。

「いけるかもしれない。」と思った私はすぐに会社を辞めて、スリランカ人と起業準備に入りました。「新しい会社作ってみる?」この言葉が出てからたった一ヶ月で退職、会社をスタートしました。まず商品設計、ブランドポリシー設定、パッケージデザイン、対象顧客を決定していきました。登記に関しては専門家にお願いをして、本来業務である商品開発、営業に注力をしました。そして商品が10種類できたところで営業を開始。私とパートナーのスリランカ人しかいませんので、私がありとあらゆる企業に飛び込みや電話営業をかけました。商品に自信があったため1日数十件と挨拶にいきました。しかし、反応はゼロ

企業:「なにこのメーカー?見たことも聞いたこともないよ。」

味見していただけることもなく各企業から断られ続けました。

私:「どうか一度飲んでみていただけませんか。味は確かですから。」

企業:「認知度がない商品は美味しくても売れないから駄目だよ。何かプロモーションとかできる体力はあるの?」

もちろんそんな資本はあるわけもなく、沈黙を守るだけ。そんな営業が続き、全く売れないまま、気づけば3ヶ月が経過していました。正直、心身ともに疲弊していました。心の癒しである友達からの誘いは手持ち金がないため「忙しい。」の一言で断り続けていました。営業費用は日に日にかさみ、どんどん手元資金が減少していきました。「とにかく売らなきゃ」という焦りがさらに押し売り営業を加速させ、「売れない→売りたいと気持ちが前に出る→顧客がそれを感じて売れない」の悪い循環に入っていきました。

営業資金が底をつきそうな私は空いている時間で営業資金を稼ごうと思いました。“仕事を維持するために仕事をする”ことを決めました。考えてみれば基本的には飛び込み営業ばかりをしているので朝、晩は空けようと思えば調整がつく手帳を見て一層むなしくなりました。

そこで私が選んだのが牛乳配達と英会話講師バイト

牛乳配達は朝が早い。5時30分開始で、8時までには終了するので、着替えがあっても9時からは仕事ができる。

売れないことに悩んでいる夜の時間は英会話講師バイトにあてました。

この2つのバイトが私の生活を支えました。そしてこのダブルワークが私の本職を救うきっかけを与えたのです。

牛乳配達をしていた時、新商品の提案をすると大体の顧客が「別にいらない。」と答えます。牛乳配達は一度購入すると定期配送になるからです。でも一人のおばあちゃんは新商品を提案する度に買ってくれました。なんでこのおばあちゃんは常に買ってくれるのだろう。そんなことをじっくり考えている余裕もない私は毎回「ありがとうございます!」と言葉を残して、逃げ去るように牛乳瓶を積んだ軽トラックに乗り込んでいました。

一方、英会話講師バイトでは英会話だけでなく中学校3年生の受験対策指導をしていました。ここでも問題が発生。生徒が私になつきません。特に思春期の女子生徒には嫌われていました。休み時間には楽しそうに笑っているのに授業が始まった途端に無表情になり、私の目を見てくれません。質問をしても「わかりません。」としか答えません。ただでさえ、紅茶ビジネスでうまくいっていない私は精神的にかなりまいっていました。どうしたら会話してくれるのだろうか・・・。

ある朝、牛乳配達をしながら「何をどうすればいいのだろう。」と悩みながら例のおばあちゃんの家に訪問しました。どこに行っても私の商品は売れていなかったので、ふとおばあちゃんに質問をしてみました。

私「なんでおばあちゃんは飲まないのにいつも新しい商品を買ってくれるの?

客「だって萩原さんは話を聞いてくれるから。お駄賃あげなきゃ。」

ん?聞く??

実は最初は配りきっていた牛乳類も、飲むヨーグルトなど新商品が出るごとにおばあちゃんが買ってくれるため、定期配送する商品が増えていました。ついにはおばあちゃんだけでは飲みきれない量になってしまいました。そのためおばあちゃんが商品を私にくれるようになったのですが、さすがに商品をもらって、飲んですぐ立ち去るのは申し訳ないと思って、おばあちゃんの家に毎回5~10分程度いたのです。ただ隣に座っていて、汗をぬぐいながら、最近勝手に住み始めた猫の話、カラスがゴミを狙ってくるからネットを作った等のたわいもない話を聞いているだけでした。自分にとっては休憩時間のようにただ聞いていただけですが“聞くことが価値”になっていたようです。そしておばあちゃんの話に対して何も文句をつけずに聞いたことが嬉しかったようです。

そうかぁ、そういえば自分の商品をアピールするばかりで聞くことをしていなかったな。

茶葉の大きさによる味の違いや湿度による変化など専門知識で説明していれば良いと考えていたのです。自分が発言してた会話の中には

商談時 「御社に置いていただければ弊社の商品は必ず売れます。」

英会話講師時「うちの英会話塾ではこのレベルまでできないとダメだよ。 しっかり言う通りに覚えてきてね。」

こんな発言ばかりでした。これを機に意識を変えてみましたどんなに話したくても話を聞く。「話すは技術、聞くは器」「真の饒舌は口べたにあり」などという言葉もあります。話したい、突っ込みたい気持ちをこらえて、こらえて聞きました。商談では「聞いたことない紅茶だ。」と言われれば「その通りです。」と答え、「どこにも売ってないじゃないか。」と言われても「その通りです。」と返しました。しかし私は最後に一つだけ言葉を残すようにしました。

「全て○○様のおっしゃる通りです。お話いただき大変参考になりました。ただ、私どもの紅茶は日本で私からしか買えない、聞いたこともない、売れてもいない高質な紅茶なのです。どのように捉えるかは御社次第です。ありがとうございました。」

すると希少性を感じた特定の企業は試してみたいと急にオファーをしてきたのです。この時私が商談時に話した割合は1割程度しかありません。会話のほとんどが購入する顧客の不安についてだったのです。顧客の話を全部聞いてみると意外に顧客によって不安の着眼点が違うこともわかりました。味、商品の見た目、値段、認知度、その全ての質問に対して丁寧に答えていきました。先方が納得するまで情報提供をしました。すると今までにはない反応が見えてきたのです。今まで1件も契約とれなかったのが嘘のようにその後半年間で約80社と契約を結ぶことができました。

英会話講師でも無理な宿題や要求をこちらからはせずに、どこまでできるか、何をしたいかという質問をするようになりました。そうすると自分から「先生に相談したいことがある。」と声をかけられるようになりました。あんなに冷たく、声のトーン、目つきもきつかった女生徒も心を開いてくれたのです。そして全員が一丸となって勉強した結果、全員が志望校に合格しました。生徒はやらされるのではなく、自分からやることを望んでいたのです。

その後もおばあちゃんが買う商品を休憩がてら飲み続けたのは言うまでもありません。考えるきっかけをくれたおばあちゃん、ありがとう!

解散!?

ようやく手にした顧客。全クライアントに初回納品が終了。あっという間に売れた店舗も出てきたため、追加受注。早速パートナーのスリランカ人に確認すると「在庫がない。」というのです。

「あれ、1ヶ月前に注文しておいたはずの商品だけどどうしたの?」と聞くと「注文したはずなんだけどな・・・。」と怪しい答え。

まさか。。。

ここから納品遅れが発生し始めました。二度目に注文をする企業様には2週間程度の遅れが発生。さらに在庫の缶にサビを発見。

顧客からは

「商品棚を空けるようでは商品を置けない。」 「商品錆びているけどどうなっているの?」

営業に特化し、商品管理はパートナーに任せ、全く見れてなかったのです。

怒った顧客に対して必死に謝罪をしましたが、信頼は揺らいだ瞬間に一気に吹き飛びました。信頼は蓄積型だけど無くなるのは一瞬。関係が良好だった企業の担当者には電話すらつながらなくなりました。その後何度も在庫管理や危機意識に関して話をしましたがお互い感情で話をしているため、すれ違い、私が会社から籍を抜く形で二人の関係は終了しました。

あてのない転職

一社一社に退職することを詫びて、途方に暮れながら、英会話の先生と牛乳配達を続けていました。この時はさすがのおばあちゃんも「お気の毒様。」のみ。

そんな私は一時的に世間一般から見るとフリーター状態。

夢のある会社経営から思わぬ転落・・・。どうしよう・・・。なんなんだ・・・。

求人雑誌を眺めているとまさに今手にしている求人雑誌を発行している会社で求人をしているではありませんか。しかも大手広告企業、高月給!私は即座に応募しました。営業力には自信がありました。なんといっても誰も知らない商品を売っていたのですから、ほとんどの方が知っている商品を売れないわけがないと思っていました。営業で身につけたトークとヒアリング力を用いてなんとか入社まで無事にたどり着きました。この時に様々なことを学んだ牛乳配達と英会話講師を退職しました。

しかし、待っていたのは地道な営業活動。「広告営業はかっこいい提案営業」なんて考えていた自分に冷めるぐらいの地道さ。週500件電話、50件の飛び込み。ビルの上から下までしらみつぶしに名刺とパンフレットを配っていく。

商談が生まれない限りは行動件数をとにかく増やす。ただよく考えたらプロモーションは会社がやってくれて、商品パンフレットも揃っているので昔に比べたら精神的には楽しかったのです。体力的には厳しかったですが(笑)。

ここで「数は質を凌駕する」という言葉を学びました。

毎日が研修やロープレで学んだことの実践、実践、実践でした。

楽しみながらやっていたので成績もどんどん上昇していきました。営業を始めて3ヶ月で初めてグループ内MVPを取りました。この時は本当にうれしかった。生まれて初めてたくさんの人に「おめでとう!」と言われた快感が忘れられず、その後は全国でMVPを取ることを目標に営業活動をし続けました。

でも目標はすぐ忘れてしまうのです。

「この前達成したいと思っていた事ってなんだっけかなぁ。なんかいいこと考えていたんだけどな。まいっか。」という具合に。そんなことを繰り返していた自分を駄目だと感じていた時、一冊の本に出会います。それが望月俊孝さんの著書“魔法の宝地図”です。

ご存知ですか。目標を張り出すだけ目標達成する手法です。そんな馬鹿なと思いながら始めましたが効果は絶大。当時張り出していた20個近い目標が全て叶ったのですから。営業部門だけではなく、チーフ部門でも全社MVPを獲得することができました。目標は忘れてしまうので常に張り出して自分の潜在意識に訴え続けることが大切だと認識しました。

コンサルティング業務への出会い

念願の全社MVPを受賞して有頂天になっていた時に、かつて社内で有名であった、最近独立された社長から電話をいただきました。

とても綺麗とは言えない、古い週刊少年誌が積み重なった、たばこのヤニだらけの喫茶店に呼び出されて座って待っていると社長が登場。有名な方からの呼び出しに緊張しながら、じっと話を聞いていました。社長は「最近どう?営業は楽しいか?」などと質問をしてくれたのちに「うちに来ないか?」と声をかけていただきました。心のどこかで声をかけられるかもしれないと考えていたので凄く嬉しかったのを覚えています。「必要とされている感」が嬉しかったのです。それでも迷いました。当時の仕事には全く不満はありません。むしろ年収も数年前に比較すると驚くべきほど変わっていて、安定していたのです。さらに親は退職に大反対。「誰もが知っている会社を辞めるのか。」と強い口調で迫ってきます。

「みんなが知っている会社に所属することが大切なのだろうか?安定が大事なのだろうか?自分は今後どうしたいのだろうか?」

一人自問自答をしました。改めて目標を記載しているコルクボードを見てみると、そこには目標売上数字や新規件数、MVPなどが書かれてありました。

よく見たら会社に対する目標はあっても、自分自身の成長目標がどこにもないことに気づきました。これが答えだと感じ、その瞬間に全ての目標をはずしてゴミ箱に捨てました。色んな方の反対を押し切り、その採用コンサルティング会社に入社をしました。

最初は一人の先輩コンサルタントの鞄持ちのような状態でスタート。

様々な商談に同席しました。同席した先輩コンサルタントは凄腕コンサルタント。ありとあらゆる難しい大手案件を受注しました。コンサルティング手法、知識は社内では随一。私が広告営業時代に学んだ提案書はその人の前では全く役に立たず。先輩に確認をお願いし、ひどい時は道端に捨てられたこともあります。ちょうど風が強く吹く通りであっちこっちに腰をかがめながら拾っているときは悲惨な思いでした。すでに出来上がっているものを売る営業と、顧客に新たな価値を創造し提供するコンサルティングはこんなにも違うものかと感じました。

先輩はとても厳しかったですが、コンサルタントとして必要な礼儀作法や顧客との会話、情報の仕入れ方、文章の書き方、お酒の飲み方、スーツの着こなしまで徹底的に教えてくれました。最初はこの先輩が本当に苦手でしたが先輩自身が身をもって実践している姿を見て慕うようになりました。どれだけ口で言ってもその人自身が実践できていないと慕うまでにはいかなかったと思います。それから日本においてリーディングカンパニーといわれる数々の企業の人材採用支援させていただきました。協力させていただいた企業では正規・非正規雇用を何万人も生みだしました。非常に良い経験をさせていただきました。

採用コンサルタントとして6年間勤務してきた中で採用コンサルティングではたどり着けない経営の分野にとても強い興味を持つようになりました。様々な知識を学ぶために大学院に通い始め、MBAの取得を目指しました。その時に経営戦略研究所に出会いました。最前線の現場で仕組みをつくるコンサルティング。どんなことをするんだろう。ホームページを見て胸がわくわくしました。

代表の岩渕と会話をすると「弊社は売上目標を立てません。売上を考えるのではなく、クライアントの成長を第一に考えるのです。」という言葉をいただきました。売上目標を追い続けてきた人生でしたのでこの言葉が心に響きました。

クライアントのために仕事をしよう、したい、この想いが経営戦略研究所への入社を叶えました。

ご参加される皆様へ

色々な経験を経て現在の私が形成されています。開業準備、営業、コミュニケーションのとり方、チーフ業務、マネージメントなど、医院経営で発生する課題を一通り経験したと思います。各医院の経営課題に対して真摯に向き合い、施策を検討、実践を繰り返し、医院を成長軌道にのせることに注力いたします。ひとつひとつを丁寧かつ積極的に実践をしていきましょう。共に目標を語り合える時を楽しみにしております。どうぞよろしくお願いいたします。

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